だから私達(LGBTQ+)はプライドを掲げ道を歩く!

2019.9.7更新

畑野とまと(ライター、トランスジェンダー活動家)

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現在世界中で、そして日本各地でLGBTQ+がパレードを行っているのは、今から50年前にニューヨーク市のStonewall INNでおきた暴動事件を切っ掛けにしています。

アメリカでは1920年代の禁酒法以後、LGBTIQ+は自分たちが安心して集まることができるゲイバーなどのセイフティースペースを作り、そういう限られた場『クローゼット(押し入れ)』だけで本当の自分を見せる生活を送ってきました。

一方でトランスジェンダー、ドラァグクイーンのショーが全米各地で人気を博して、多くのボードビル(ステージ)やショーパブ、そしてクラブカルチャーの走りであるドラァグボールなどで活躍。1940年代に自らを『ゲイ』と呼び始めたのもこのトランスやドラァグの人達です。一方、ショービジネス以外での生きる道が少なかったために、セックスワークを選び路上に立つ者も多くいました。

1950年代『ラベンダーの恐怖』と言われるLGBTQ+への国家的な弾圧が始まり、1953年時の大統領であるアイゼンハワーは、合衆国および合衆国関連の施設・企業においてゲイの雇用を禁止する大統領令を発効。この流れを受け、多くの地域でゲイバーなどへの圧力が強まり、ゲイに対する酒類販売の禁止などが始まったのです。

しかし、このムーブメントでターゲットになったのは男女の同性愛者ではなく、見た目やIDチェックで判るトランスやドラァグクイーンでした。警察の目の敵にされるようになったトランスやドラァグクイーンは、マフィアが経営するショーパブや、ドラァグボールなどのクラブシーンでは人気があったものの、ゲイ排除を掲げる地域において厄介者扱いされ、同性愛者が集まるゲイバーからも閉め出される状況が起きたのです。

当時ニューヨーク市でもゲイ(LGBTQ+)に対する酒類の販売を禁止していましたが、アメリカ最初の男性同性愛人権団体マタシン協会の行動により1966年には禁止が撤廃されています。しかし、ニューヨーク市はもう一つ『猥褻罪として異性装を禁止』する地域でもあったので、トランスやドラァグは仕事場であるマフィアが経営するショーパブ以外の居場所が無い状況で、路上に立つ娼婦のトランスやドラァグ達にとってのセイフティーゾーンが無かったわけです。

1966年人通りの少ないクリストファー通りにある店舗をマフィアが買い取り、ゲイバーStonewall INNをオープン。来るものを拒まずという形で警察に多額の賄賂を払って営業されたこの店は、トランス・ドラァグのみならず、白人以外の男性同性愛者やレズビアンなど他にセーフティースペースが無い者達が集まる人気店となっていったのです。

そして、今から50年前の1969年6月28日未明に、この店で事件が起こります。当時警察は賄賂を得るために店への嫌がらせとして、店で遊んでいる者達のIDチェックを行いトランスやドラァグを逮捕・投獄することを度々行っていて、この日も同じように警察が逮捕劇を繰り広げたのです。いつもなら一通り逮捕されて、マフィアが賄賂を渡して終わっていたのですが、店の用心棒をしていたドラァグキングが警察から逃げ回る時に発した『あんた達、何黙って見ているのよ!』の一言がその場にいた客に火を付けたのです。

数人の警官に対して、200人ほどの客が対峙することとなり形勢が逆転。警察官が店に立てこもり、この日の客達が店を取り囲みます。また騒ぎを聞きつけた者たちが次第にあつまり、店に対して路上に落ちている石などを店に投げつけ始めます。この状況を目にした活動家の1人が、すぐさま新聞社に通報。翌朝の朝刊に暴動の第一報が乗り、さらにブラックパンサー党やSDS(民主社会学生同盟)などが動員をかけクリストファー通りに数千人の人が集まったことで、この暴動は3日3晩続いたと言われる大事件となったのです。

この事件の1ヶ月後には約200名ほどの有志が警察など社会の横暴に抗議するデモを実行、Stonewallの出来事は単なる暴発ではなく、LGBTQ+を弾圧しようとする社会への抵抗の象徴として捕らえられていったわけです。

Stonewallを切っ掛けに結成されたGay liberation frontを含め、全米のゲイ(LGBTQ+)の人権グループの会合により、暴動から1年後の1970年6月28日にロサンゼルス、サンフランシスコ、そしてニューヨークの3カ所でデモ行進を行う事を決定、ここから本格的なパレードの歴史が始まります。

「GAY POWER」をスローガンに「アナルセックスなどを禁止するソドミー法の撤廃」「異性装を禁止する反異性装に関する法律の撤廃」「雇用差別の撤廃」「ゲイバーやコミュニティスペースなどLGBTQ+が集まる場所に対する警察の嫌がらせの禁止」「LGBTQ+の非病理化」を求めて社会的に弾圧されているLGBTQ+解放を求めたゲイリベレーション(ゲイ解放運動)がスタートしたわけです。

日本には関係無いと言う人が多いなか、この運動はすぐに成果をみせ1972年には同性愛がアメリカの精神保健マニュアルDSM IIから削除され、この流れを受けWHOが発行するICD10でも同性愛の削除が行われ、トランスジェンダーに関する疾病も性的逸脱から独立した疾病に変更されます。また、このムーブメントの中で作られた『カムアウトオブクローゼット』というスローガンを立て、多くの当事者が社会に顔を見せその存在の認知を高めようという行動にでます。

1977年にはサンフランシスコ市で初のゲイを公言している議員ハーヴェイ・ミルクが当選。機運が盛り上がるサンフランシスコでLGBTQ+の為のシンボルとしてレインボーフラッグが考案される。そして、バイセクシャルでフェミニストの活動家ブレンダ・ハワードにより『ゲイ プライド』という言葉が広められていきます。

プライドとは黒人解放の公民権運動などで使われた言葉で『私達は黒人であることに誇りを持っている!』つまり、白人が黒人を蔑んで見る事に対してその行動を否定し胸を張って黒人であると主張することが『プライド』という言葉に集約された訳で、これをそのままゲイ解放運動に持ち込んだのが『プライド』の原点です。

現在行われているプライドパレードとは『ゲイ(LGBTQ+)であることを何ら後ろめたく思わず胸をはってそれを主張し、社会に対してその存在をアピールし、そして、社会にあるLGBTQ+排除への抵抗を行い、人権と平等を訴える』といった形で世界中に広まった訳です。

Stonewallはアメリカの一都市で起きた1つの出来事でしかありません。しかし、これを切っ掛けにアメリカのみならず、世界中が思いを同じにして動き出し、プライドを掲げて、ゲイパワーをうたい、そしてカムアウトしていった事によりLGBTQ+の人権と平等が広く考えられるようになったわけです。

日本に於けるムーブメントもこの一連の流れであって、これらの全てを捨て去り『ここは日本なので日本独自の考えでやる!』それはとても素晴らしい事かも知れません、しかし海外からきたムーブメントを否定するのならばなぜ『プライド』や『レインボーフラッグ』を掲げて歩こうとするのでしょうか?

世界中にいる私達は意味無く騒乱を起こすために歩いているのではありません。Stonewallに始まった弾圧への抵抗の精神を受け継ぎ、これらのムーブメントを牽引してきた諸先輩方へのリスペクトをして、世界各地の路上で虹色の旗を振ってアピールを行っているのです。

これまで世界中で多くの活動家が積み上げてきた歴史を『あいつらは特殊な奴だ!』と踏みつけるようなイベントにはプライドも正義もありません。人権がうたえないような、そして、正義が無いような場所にはプライドは無いのです。

多くの活動家に特殊のレッテルを貼り踏みにじる『仙台プライドジャパン』を非難し、このイベント主催者が掲げるプライドもレインボーフラッグもその本意をなにも踏襲していない偽物であることを指摘します。


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